今日は私の思っていることを綴るだけの ぐだぐだ日記です。無益あしからず~🐰
自分の中でモヤモヤ思っているけれど、それをうまく言葉にできないことって誰しもあると思います。
そんな言語化できない私の中のモヤモヤを一言で表現しているのを見つけて今日はビビッ!となりました。
『懸念するならば、正しく懸念しよう』
何においても、否定・批判・懸念が大好きな人っていますよね。
そういう人に限って、そもそもよく理解していないことを頭ごなしに否定していることがある気がします。
よく理解していないばかりに、極端すぎる理論を振りかざしてきたり、本質からズレた議論をしていたり、、なんて人を見てモヤモヤすることはありませんか??
物事を否定(懸念)するのであれば、最低限、正しく否定しないと本当に議論にならないな~って思ったりするのです。
そもそも、否定してしまうのは自分の常識の範疇から外れるからだと思うのです。
アインシュタインは「常識とは18歳までに身に着けた偏見のコレクションのことをいう」と言っているように、自身の常識って結局のところ偏見だったりするわけですよ。
私もわりと自分は正しい!って思っているタイプの人間なので特大ブーメランなのかもしれませんが。
私が常識って思っていることって、私の中の偏見でしかないわけで。
ただただ、自分が正しいっていう謎の正義感をふりかざして、何の根拠もないor間違っている情報に基づく否定って有害 極まりないよな~って思うのです。
まぁ、そんなわけでこの言葉。
『懸念するならば、正しく懸念しよう』
ぐだ日記にお付き合いいただきありがとうございました💛